感謝もされず対価も支払えない。でもそういうセンチネルの仕事は
誰かが担わなくてはならない。
世の中には「誰かがやらなくてならないのなら私がやる」と考える人と
「誰かがやらなくてはならないんだから誰かがやるだろう」というふうに
考える人の二種類いる。
「キャッチャー」は第一の人種の人は引き受ける仕事である。
ときどき「あ、俺がやります」と手を挙げてくれる人がいれば
人間的秩序はそこそこ保たれる。
でも自分の努力は常に正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと
思っている人は「キャッチャー」や「センチネル」の仕事には向かない。
適正を論じる前に彼らは世の中にそんな仕事が存在する事さえ
想像できないからだ。
家事を毎日きちきちとしている人間は人類学的な使命に通じるものだ
ということが直感的にわかるはずである。
じぶんで掃除や選択やアイロンをしたこともなく「そんなこと」を
するのは知的労働者にとって純粋に時間のムダなんだから
金を払ってアウトソーシングすればいいじゃないかというようなこと
を考えているもの達は「お掃除するキャッチャー」の心に去来する
涼しい使命感とは無縁である。