「公園での課外授業」
中学校の避妊指導と「生派」鈴木先生の葛藤
2−Aのクラスメイト 河辺と竹地が生でしてしまっていると竹地のお母さんから相談を受けた。おかあさんはせめてゴムを付けて性交をしろと鈴木先生に云わせたい。しかし当の本人は生粋の「生派」であるためどう指導するかで悩んでいた。しかしマニュアルどうりの指導では納得いくはずがない。さてどうするのか?
「あれをすれば子供ができる可能性があることはしっているよな」
「もし子供ができたとして親や世間に対してお前はイキイキと苦難を乗り越えている姿を見せ続けなくてはならない。自分達の決意がほんものであると信じさせるためにも」
「体を合わせるということはそれができるということだ」
「愛し合うもの同士がなにもかも忘れて無心に求め合う事は感動的だっただろう?」
「あの純粋で清らかで神秘的な喜びを心の底から味わったものなら、今俺がはなした事は心に染み入ってくれただろう」
「僕には彼が性指導の時間、真面目に聞いていなかったとは思えません」
「むしろ真面目なゆえに感じてしまったんではないでしょうか?大人たちの論理の胡散臭さに」
「避妊はそもそもSEXからは本来の目的であるこどもを作るということから切り取り、快楽だけを楽しむための技術に過ぎません。付けていればいいという安易な避妊指導ではSEXが単に娯楽になりえるということを子供達に教えてしまっている」
「子供達はすでに気づいているんです。この世界がSEXを娯楽におとしめる事に慣れきってしまい、それになんの痛みも感じないことを」
「しかし子供達がSEXの本来持っている崇高さを深く理解した時、おのずと覚悟が芽生えてくるはずです。そしてその覚悟を真の意味で手に入れたものには望まない妊娠や不幸はありえません。SEXの神秘性と精神性を時間を掛けて説いていくほうが望む結果に近道だと思うんです」
「付けてするばOKなんじゃない。ただ許されているだけなんだ。同じ時代に生きるもの達が自分の為に作った取り決めなんだ。この選択をするときに自覚と痛みをどうか忘れないでくれ」
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「内面、外見、経済力、学歴、どんな価値観でパートナーを選ぼうとも何らかのエゴが隠されているものだ」
「しかし世の中には自分の価値観を絶対のものと信じエゴの存在を自覚しないものが多すぎる」
「一つの価値観がこの世の中の全てを支配してしまうこと。このことを俺は最も恐れている」
「どんな入り口から人を好きになっても構わないんだ。問題なのは入り口ではなく、そこから先なんだ。パートナーとの関わりで自分より相手を尊重できる、それが真の意味で人を愛するという事ではないか?」
「じゃあ俺は今のまま、好きな女の過去を気にする俺でいいんですか?」
「その価値観は許されている。だが忘れるな、その価値観が正しいんじゃない。ただ許されているだけだ。他のあらゆる価値観、あらゆるエゴと同様その存在を許されているだけだ。そのエゴに伴う痛みをどうか忘れないでいて欲しい」
「女性の過去を気にしたり、処女にこだわるという考えは確かにある。だがそれはたくさんある価値観の一つにすぎない」
「体験というものは人間性を磨く上で貴重な教材だ。様々な体験という教材の中から確実に身についたものだけが人間にとって真の学びとなる。体験を分母に学びを分子にして出た答えを仮に学習率としよう」
「様々な事情から多くを体験してしまったものはその分頑張って学習率を上げ、リッパでステキな大人になればいい」
「河辺、お前はたくさんの教材を手に入れた。それを放りっぱなしにして生きていくことでジャマな重みと考えるか、あるいはそこから多くを学び人間性を磨く上での糧にするかは全てお前次第だ」
むちゃくちゃいいでしょ?おれのベスト1はこの回かな。