程度の差であれだれでもが、なにかの役割を演じたがっている。
そして自己の自然のままに振舞うということが大事だという青年は
たんに青春の個性というありきたりの役割を演じているだけだと
福田瓦在は批判する。
さらに個性などというものを信じてはいけない。
もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割に過ぎない。
私たちが真に求めているのは事が起こるべくして起こっているということだ。
そしてその中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことを
しているという実感だ。なにをしてもよくなんでも出来る状態など
私たちは欲していない。ある役割を演じなくてはならず
その役を投げれば他に支障が生じ時間が停滞する。
欲しいのはそういう実感だ。